くるくるりん

まあ、ゆっくり行こうよ、

1ヶ月経ったよって話

前の投稿から1ヶ月が経った。

 

それからの1ヶ月で僕はどう変わっただろうか。

 

きっと良くも悪くも何も変わっていない。

この場合、良くも悪くも何も変わっていないというのは、悪いことだろう。

 

どうしてもブログに書きたいような劇的なことなんて起きない。そんな1ヶ月。

 

 

この1ヶ月で、新居に引っ越した。

家具も少しずつ揃ってきた(まだ足りないなぁってものはたくさんあるけど)

 

この1ヶ月は、たくさんたくさん家にいた。

いや、みんなそうか。

 

いろんな感情を経験して、その都度勢いでブログを更新しようかと思ったが、きっと後悔すんだろうなとか、すぐ消すんだろうなとか、そんなことを思うと何も書けなかった。

 

ブログは落ち着いて、そう落ち着いて書くべき。

 

日記程度でいいから、少しずつでいいから、たくさん更新したいなぁと思っている。

(結局しないのだけど)

 

そんなところで、とりあえずの更新。

さっそく踏ん張り時だぞって話

つらい。

 

明日、首相から緊急事態宣言が出るとかでないとか、そんな話がSNSには溢れてて、

 

自分の住む地域にはまだ遠い場所の話のようで。そんな地域に含まれていなくて、比較的(それでも悪いだろうけど)状況が良い状態なことは喜ばしいことであるはずなのに、

 

今まで仲良くしてくれていた人たち、今まで生きてきた場所、そういうものから自分だけが切り離されて、遠ざけられて、違う社会で生きていかなければならないような感覚に陥って。(実際そんなことはないんだろうけど)

 

自分は遠くにきてしまったんだなぁって、すごく寂しいなって。

 

 

そりゃ社会人になってみんなバラバラになって違う環境で生きていくことになって、ちょっとずつ話が合うことが少なくなっていってしまうのだろうけど、それが、明日からの日々で明確に突きつけられるんじゃないかって、君と自分は違うところで生きてるねって、どうせ分かんないよねって。すごく、寂しい。怖い。

 

 

例えば、「今日は雨が強いね」なんて話に「そうだね」なんて返すことはもうできないのかな、「そうなんだ」とか「そっちも降ってたんだ」とか、なんか一つ一つの会話に物理的な距離を感じてしまって、いつか慣れるのかもしれないけど、今想像しただけですごく怖い。

 

それがただ1人の恋人と離れてしまったとかなら(絶対遠距離無理派なので無理だけど)、まだなんか距離も辛くとも受け入れられるっていうか、2人で乗り越えようなみたいな雰囲気になるのかもしれないけど、全員とそうなってしまったら、僕以外のみんなはそうなっていないのに自分だけ離れてしまったら、もう、すべてが途切れてしまうんじゃないかって。

 

 

例えば自分が、どうしても英語圏で働きたくて1人海外で働くことになった、とか、そういう積極的な理由ならいざ知らず、そうじゃない場合、まだまだみんなと同じ社会で生きていくと思っていたのに、突然だから、すごく悲しいし、自分もその輪に本当はいたかったなって、いれた世界もあるのかなって、すごく、すごく。

 

 

 

 

そんなこんなも、新社会人はみんな環境の変化で色々悩む時期だと思うので、もらなく自分もその1人ってだけなんだろうなって思うと、みんなそんな中でも頑張ってるのに自分はダメだなって、すごく、また、悲しい。

 

 

さっそく、踏ん張りどき、頑張れ自分。

新生活がはじまるよって話

4月になって、色々環境が変わった。

 

コロナの影響で大学の卒業式は行われず、僕の大学生活のほぼ全てだったサークルの追いコンも中止となり、なんだかいきなり社会人になってしまった。

 

仲の良かった友達とは離れ、1人新たな土地で生きていくことになった。

 

一人暮らしは大学時代からしていたけど、親からの仕送りとかがあって。でも、社会人になり、本当に1人で生きていくんだなって、そんな心境。

 

 

4月になって、ここ2、3日は色々バタバタしていて、心もちょっと終わっていたけど、持ち直してきた(持ち直さないといけない)ので、ブログでも書いてみることにした。

 

今はまだ新居には入れていなくて仮住まいなので、新しい生活!って感じはあまりなく、なんかなぁって感じの今。

 

 

新生活の目標は、また次の記事で書くとして、とりあえずブログはちょこちょこ更新したいな、と。

 

またすごく期間あきそうだけど笑

 

では、また。

願いごとが叶う話

ミサンガが切れた。

 

 

なにを願って結んだか、もう忘れてしまった。

それでも2年近くも僕の左足首にいた青いミサンガ。

きっと何かを叶えてくれる。

 

 

当時の僕はなにを望んでいたんだろう。

2年前から僕は大してなにも成長していない。なにも得ていない。

 

だからもしかすると僕が今、「こんなこと願ってたらいいなぁ」って望んだことを当時の僕も望んでいるかもしれない。

そうだったらいいなぁ。

 

 

分からないけど、ミサンガが切れた。

 

 

何かが叶う。

 

 

何かが変わる。

 

 

今日は早く寝て、明日からの日々を、

 

何かが変わっている世界を。

 

 

好きなものの話

 

「趣味は?」って聞かれると困ってしまう。

 

特に何をしているわけでもない僕には、これといって趣味はないし、

本当は何か盛り上がるようなこと言いたいんだけど、本当に思いつかない。

 

社交的でも外向的でもないくせに、一人の時間に趣味を楽しんだりもしていない。

 

困った。

 

 

 

 

でも、そんな僕がずっとずっと好きなことがある。(それを趣味と呼ぶのでは?)

 

「音楽鑑賞」と呼べる類ではないのだろうけど、音楽を聴くこと。

それも、広くたくさん聴くわけでもなく、ジャンルは偏っていて、

いわゆる「邦ロック」と呼ばれるジャンルの音楽が好き。

 

 

きっかけは、中学生の時、NHKのサッカー中継のテーマソングとしてRADWIMPS君と羊と青が流れていたこと。そこでその曲が好きになった僕は、そのあとすぐにRADのアルバムをTSUTAYA借りに行った。ワクワクだった。

 

好きな曲とか、たくさんたくさんあるし、たくさん話せそうなので、また機会があれば別で書きたいな、と思う。

 

その後、KEYTALK、グドモ、SHISHAMOにはまりにはまって、バニラズ、フォーリミにどハマりして、オーラル、ビーバー、ペギーズが好きになって、マカエンブームが来て、とかとか色々なバンドに出会って、その度にめちゃくちゃ聞いてきた。

一度ハマるとその音楽ばかり聴いてしまうので、ここまでに書いたバンドの曲はめちゃくちゃ聞いた。

 

これらのバンドについても、別で書きたいぐらい言いたいこととかありそうなので、また、別の機会に。

 

その他にも、書いてたらきりがないくらい(きりはある)たくさんたくさんのバンドと出会って好きになって、ライブに行った。

 

すこし前までは、ライブキッズとまでは言えないけど(陰キャなので。)、ディッキにバンT、ラババンまとってたし、ライブ会場に行けば友達 (と呼べるほどのものかはわからないけど)がいた。

 

でも、2、3年前からそういうスタイルからは離れていってしまったし、ここ1年くらいはほとんどライブにも足を運ばなくなってしまっていて、前ほどの熱量はない。それでも、家で一人でいる時は、だいたい音楽流しているし、かつてライブにたくさん行ってた頃に使っていたそれ用のTwitterアカウントで好きなバンドの情報は欠かさずチェックしてるし、大好きなバンドの過去のLIVEDVDを見てわああああってしてるし、YouTubeで新しいバンドと出会ってはハマってを繰り返している。

 

 

(突然話は変わって、、、ここまで何も考えずに書いてきたけど、話があっちに行ったりこっちに行ったり、まとまった文章書くの下手すぎじゃない?頑張ります。)

 

 

とまあ、こういった音楽が好きなんだけど、大学に入ってからそれについて話せる友人ができてなくって寂しい。好きなものを話せる時間ってとっても楽しいと思うので、同じものが好きな友達が残りの大学生活でできたらいいな。

 

あとあと、考えてみたら、バンドそれぞれで1記事書けそうなので、また時間がある時に書いてみようかな。

 

 

まとまりがないけど、おしまい。

 

 

 

 

不意に君を思い出す時があるよって話

 

狭い四角形の舞台の上で、僕の隣には君一人。

僕と君はいつだって二人きりだった。

 

 

僕たちはいつも謝ってばかりだった。

そしてそんな時にお互いに相手の目を見ることはなかった。

 

君が僕に謝った時、僕はただ前を見て「うん」と一言囁くだけで、それ以外に言葉はなかった。

 

 

始まりはどっちからだったのか。

君が僕を選んでくれたのか、僕が君を選んだのか、最初がどっちからだったのか、覚えてない。いつからかお互いがお互いを選んでいた。

 

そして、僕たちはいつだって相性がとても良かった。お互いがお互いの手の届かないところ、いて欲しいところにいつもいて、お互いの足りないところを補い合える僕たちの相性は誰が見ても良いものに違いなかった。

 

二人が追い込まれた時、いつだって君は僕のわがままで突飛な提案にのってくれた。

君が僕を肯定してくれて、君が僕をサポートしてくれて、そんな時の僕たちに敵はいないように思えた。

 

 

 

君はいつだって優しかった。

 

課題が終わらないって言って残っている僕の隣で、君は「自分も終わってないんだ」って言ってくれたのは、きっと優しい君の嘘だったけど、嬉しかった。

 

君があの人と付き合い始めたのさえ、二人の気持ちが、とかってそんなことはもちろんわかっている。わかっているけどどこかで僕のためなんじゃないかとかって、思ってしまっていた。

 

それくらいに君の優しさはいつも溢れていた。

 

 

 

毎回、終わると、汗だくの君はいつも「ありがと」って言って笑った。

 

最後の最後、僕の隣には他の人がいた。いつもと違う顔、いつもと違う声、いつもと違う姿、そのどれもに馴染めないまま、どこか違和感を感じたまま、僕のすべては終わった。

 

 

最後に君と何を話したのかなんて覚えていない。それくらい僕たちには何もなかった。大きな事件や喧嘩があったわけではない。周りの環境、自分自身の変化や時間の流れとともに、自然に、自然に終わっていた。

 

君とのラインを開くと、グレーの文字で「退出しました」の一行。

気づいた時には仲良くなっていて、いつの間にか始まっていた僕たちの関係は、終わる時もいつの間にか自然に、すんなりと終わっていた。

 

僕たちがこの先、連絡をとることは、きっとない。

友達に聞けばすぐに繋がれるというのに、どちらもそんなアクションを起こすことはないだろう。

 

 

僕たちの関係なんてそんなもんだ。

 

 

 

でも、僕はこうやって君のことを思い出す。

ふとした瞬間に、君との時間を思い出しては、自分にとって君と二人の時間はすごく楽しかったこと、

 

そして君もまた、楽しかった思い出として、青春の一コマとして、僕のことを思い出しているんだろう。

 

 

僕たちの関係なんて、きっと、そんなもんだ。

 

 

これまでも、これからも。

 

 

 

 

 

 

という、部活でペアを組んでいたお友達とのお話。

 

 

あっこのパフェが食べたいのよって話

実家から車で1時間弱のところにある洋食屋さん。幼い頃にお母さんと行ってた洋食屋さん。

当時の僕にとってそこは、自分一人では行けないとても遠い街の素敵なお店だった。

 

 

そこで、何度か大きなパフェを見たことがある。

 

記憶の中でのそのパフェは、とても大きくて、いつも大きなお兄さんお姉さんたちの笑顔に囲まれていた。

そんな大きなパフェを見たことがなかった僕は、そのパフェが本当に夢の世界のように見えて、すごいものがあるんだなぁって思ってた。

 

そして、それを取り囲む今の僕の年齢と変わらないぐらいの4〜5人ぐらいの集団は、当時の僕にはなんでもできるかっこいい大人のように思えた。

 

 

お母さんは、すごいねぇ、あんなに大きなの食べられないね、大きくなったらお友達と食べにきなね、って言ってくれていた。

今考えればその近くの学校にずっと通っていたお母さんは食べたことがあったのかもしれない。

 

でも、高校へ進学しても大学へ進学しても、そのお店に友達と行くような立地の学校に通うことはなかった。何なら、昔の方があのお店が近かったように感じる。

 

大学生になって、行動範囲が広がったとはいえ、わざわざ大学から遠く離れたそのお店に、一緒に行けるような友達はきっといない。そう思おうとしている。

 

 

そして今、僕は、当時の僕が憧れていたなんでもできる大人になった。

 

でも、今の僕は何にもできない。

 

だからきっと、今僕が見ている40代50代の大人たちもきっと自分がなってみたら何にもできないままだし、まだまだ子供だなぁとか思ってるのかもしれない。

そのくせ、「年取っちゃったからね」とか「若いうちならできたのにね」とか言ってできることの幅をどんどんと狭めていってしまっているかもしれない。

パフェだって、「若い子が食べるものだよね」とか言って心のどこかに何かを感じながらも笑ってるのだろう。

 

 

だから、そんなつまらない大人になる前に、まずは、小さな頃に憧れていたあのパフェを食べに行こうと思う。

 

実現できるかわからないけど、そんな小さなことくらい動いてみるのは簡単なはず。今の僕ならそのお店にいかない理由なんて、言い訳なんていくらでも用意できる。

 

でもそんなもの一旦どこかに置いておこう。

 

 

そしてそのパフェを目の前にすれば、普段普通にしてるだけで、だいじょうぶ?とか、疲れてる?眠い?とか言われる僕でも、あの頃見たお兄さんお姉さんと同じくらい、いやそれ以上に素敵な笑顔になれるかもしれない。

 

きっといつかそこに一緒に行ってくれた人は、僕より素敵な笑顔をそのパフェに、僕に向けてくれるだろう。そんなことも楽しみにして。

 

 

そして、小さな子供が隣に居合わせたなら、「大きくなったら素敵なお友達を作って、一緒に食べに来るんだよ」って、あの日の僕のお母さんみたいに優しく言ってあげたい。